生い立ち・メッセージがんを克服した後に、脳脊髄液減少症という難病と今も生きています。

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カウンセラー
十川 千惠美

人は心とからだの両方が健やかであればこそ、人生を楽しむことができます。 一言に悩みと言っても、それは千差万別です。

ウェルカムでは、悩みや病気を抱えた方の解決策を見出します。そして長年のメーキャップアーティストとしての経験を基に個人に合った、メイクやファッションのアドバイスを致します。その他「こんなことで相談しても?」と思われるようなことまでご相談いただいております。

お一人で悩まないで、お気軽にご相談して下されば幸いです。

心の美容家 十川 千惠美がお待ちしております。

プロフィール

出身地 静岡市→名古屋市
生年月日 1959年11月
血液型 A型に近いO型
趣味 家事全般・オシャレ・読書
ちょっと自慢できること 話すと面白いと言われます(笑)あと行動的なところでしょうか。
毎日の過ごし方 私の毎日は「笑ったり、泣いたり、笑ったり」です。詳しくはブログをご覧ください。
資格
  1. 内閣府認証 特定非営利活動法人
    日本能力開発推進協会
    上級心理カウンセラー
  2. 内閣総理大臣認証NPO法人
    コミュニケーション能力開発機構
    コミュニケーション能力1級
  3. 内閣府認証 特定非営利活動法人
    日本アロマセラピー統合医学協会
    心理アロマアドバイザー
  4. STEP ENCOURAGEMENT CENTER
    親子心理学 STEP取得
  5. STEP ENCOURAGEMENT CENTER
    親子心理学 STEP/Teen取得

生い立ちとメッセージ

私が2歳の時に両親が離婚

その当時の記憶は一切ありませんが、いつの頃からか新しい母が居て、こども心に複雑な心境だった事は覚えています。
それでも継母に捨てられるのが怖くて、いつも継母の顔色を窺って暮らしていました。
継母はとても厳しく、また感情の起伏が激しい人で怒らせたら最後、私がズタズタになるまで罵倒され、私の意見など聴き入れて貰える事も無く、 心とからだの虐待を受けながら育ちました。

私が小学校に入ってからの一番の記憶と言えば「毎日の下痢」です。

なぜか学校帰り、家が近づくにつれお腹が痛くなり、青ざめながらトイレに駆け込んだ事は今でも鮮明に覚えています。
私は表面上いつも明るく振舞っていましたが、心の休まる場所も無く、淋しくて淋しくて心が壊れてしまいそうになり、小学5年の時には「もう死のう・・・」と包丁を手にしたこともありました。
が、結局死にきれず―――。

アルバイトに明け暮れた高校時代

高校生になり、お小遣い稼ぎの為にアルバイトを始めたところ、継母に「バイトをするなら自分で学費を払いなさい! 」と言われ、高校3年間は毎日アルバイトに明け暮れた日々でしたが、何とか自カで卒業をし、卒業と同時に大手化粧品会社に就職しました。
就職後、給料8万円の内、毎月3万円を継母に取られ、ボーナスも三分の一渡さねばならず、それでも少しずつお金を貯めて、小学校からの計画通り20歳で家を出て自立しました。

そして22歳の時、縁あって結婚!

憧れのウェディングドレスは着られませんでしたが、幼い頃からの私の夢「幸せな家庭」を築く始まりでした。

結婚後間も無く右脚に激痛

ですが結婚後間も無く、右足に激痛が・・・
整形外科で診察を受けたところ「すぐ手術をしないと右脚が短くなりますよ」「骨盤を切るので出産は難しいかも?」「どうしてこんなになるまで我慢していたのですか?」と言われ、ショックのあまり診察室で倒れてしまいました。
私の夢だった「幸せな家庭」には、何より『子供』は不可欠だったからです。

後に分かったのですが、私は産まれた時「先天性股関節脱臼」だったらしく、定期的な検査が必要で、 継母はその事も知っていたはずなのに「脚が痛いよ~」と言う私の訴えに「あんたは大げさなのよ!我慢が足りないのよ!」と病院に連れて行ってはくれませんでした。
結局、私は右骨盤を切る大手術をし、三ヶ月の入院。退院時は両松葉杖の状態でした。

医師からは「今後歩くことを控える事、水泳以外のスポーツは禁止」等々、沢山の注意事項が・・・
そんな事もあり、夫の家族から謂われの無いイジメが始まり、義父から「子供が出来ないのはお前のせいだ!自分から身を引いて別れろ!」と電話があったり、根拠が無くても何かと疑われ、里帰りした折には、義姉の持参した宝石が見当たらないことで私が疑われ、荷物まで調べられました。

半日後、義姉が宝石を自宅に忘れてきた事が発覚したのですが、謝るどころか何も無かったかの様に振舞われ、どれだけ悔しい思いをしたか分かりません。
それでも我慢に我慢を重ね不妊治擦に励み、何度も流産をし、六年目にしてようやく妊娠!この時は本当に嬉しかったです!

30歳の時、癌になり余命半年と・・・

でもそれはつかの問の幸せでした。
30歳の時、私の身体に癌が・・・
当時、医師から余命を告げられ悲しみのどん底に落ち、絶望的になった私はまだ2歳だった子供に手紙をしたためる事にしました。
「5歳の君に」「10歳の君に」・・・「20歳の君に」と何通書いたことでしょう・・・
そんなある日、私はふと「この子の為に死ぬわけにはいかない!」と思い、それからというもの、ありとあらゆる事をしました。
そして5年後、ついに癌に打ち勝ち、しばらくは穏やかな日々が続きま した。
でも人生って思うようにはいかないもので、子供が6年生の時、私の夢だった「家庭」は18年で崩壊しました。

婚姻後18年で離婚、そして40歳で再婚

悲しいことのあとには嬉しいことがあるものなのか?
40歳の私に新しいご縁があり子連れで再婚。

ところが数ヵ月後、今度は子供が不登校に・・・
思春期という事もあり子供の心は激しく乱れ、そんな子供をどうやって扱ってよいのか?
また、どうやって助けてあげたらよいのか?
私は、悩みに悩みました。

子どもの不登校

子供の苦しみを見ているしかない毎日は地獄でした。
この時の子どもの不登校をきっかけに私は心理学を学び始めました。
不登校ながらにも子供が落ち着きを見せ始めた矢先、私は今までの疲れが出たのか、倒れて入院することに―――。
結果は極度の更年期障害に、メニエール病という難病を併発していました。

再婚相手からの離婚申し出

不幸とはこんなにも続くものなのでしょうか・・・
そんな子供や私が疎ましくなったのか、再婚相手から突然離婚の申し出が・・・不審に思った私は調査を依頼。
その結果、夫がW不倫をしていた事が分かり、ショックのあまり私は摂食障害(拒食症)になってしまいました。
そして私は再び離婚を決断しました。

身体の異変と難病

あれから十数年余り―――。
私の体調は一進一退ですが、心理学を学んだことにより私と子どもの関係は、とても良い関係を築けていると自負しています。

そんな中、私の身体にまた新たな異変が起こりました。
ある日突然、瞼が痙攣し自力で目を開ける事すら困難になり、目はジンジンと痛み、食事も取れず、座っているのも苦痛で体重は一ヶ月で6kgも減ってしまい、精神的にも不安になり「うつ状態」になってしまいました。
今回の病気は「眼瞼痙攣」というそうで、また難病です。
一時は失明の危機に陥り自暴自棄になってしまい、死ぬ事も考えました。

なぜ私は次から次へと難病になるの?

なぜ私は次から次へと難病になるの?
そう思うと、辛くて辛くて毎日涙が止まりませんでした・・・

そして私は、自律神経失調症になり、過喚起症候群・パニック障害・適応障害・燃え尽き症候群など、 さまざまな症状に苦しめられました。

そんな時、私の体の不調の原因は「心」だと判ったのです。
病名は「身体化障害」つまり、心の痛みが体にさなざまな症状や病気となって表れる病です。

私の病の原因が「心」なら、私の心の持ち方、ものの捕え方次第では自分の人生を変えることができるのでは?
そう考えた私は、カウンセリングを受けることにしました。
定期的に受けたカウンセリングにより、私は自分を認めてあげることができるようになり、また 自分を愛することもできるようになりました。

ですが・・・
トラウマや心の傷が癒えてきても、私の体調は変わらず・・・
「何かおかしい?」
直感的にそう思った私は数え切れないほどのドクターショッピングをし。

ようやく判明した私の病は“脳脊髄液減少症”という難病でした。

“脳脊髄液減少症”という病気は、人間が生きていくために不可欠な脳脊髄液というものが外的要因により減少してしまうもので、(外的要因とは追突事故・しりもち・階段から落ちる・DVなど) この病気により、頭痛や体のあちこちの痛み、めまい、耳鳴り、気力低下、疲れやすさ、記憶力の低下、不眠などさまざまな症状が出現します。

実際、私は今現在も それらの症状を抱えながら暮らしています。
あまりに症状が強いときには、心が折れそうになる時もありますが、それでも、そんな日々の中で幸せを見つけながら生きています。

昔からよく耳にする「病は気から」の意味は・・・
『病気は気の持ちようで、重くもなれば軽くもなる』というものです。
人はどんなに裕福であっても、心が病んでしまっては前を向くどころか、生きることさえ辛くなってしまいます。

私は今までたくさんの涙を流してきました・・・。
でも今は、難病を抱えながらも心は穏やかです。
難病になる前に比べたら、できないことだらけですが、心は以前より豊かになったように思います。
まだまだ難病との生活は続きそうですが、「難病を含めての私なんだ」と分かった今、私は人生を謳歌しています。

私の半世紀以上の波瀾万丈な体験が、悩み苦しんでいる あなたのお役に立てるならこんなに嬉しいことはありません。

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